2009年07月25日

南朝のルーツ、インドネシアヘ

1998.03.28at 09:00
一週間ほど、インドネシアを訪問して参りました。

ジャカルタからスマトラ島のパレンバン、ジャンビを訪問し、アジアの広い地域を占めていたシュリービジャヤ帝国の遺跡の発掘現場をご案内頂きました。
帝国は、1927年頃に崩壊し、その後に琉球に移動し琉球王朝を築く事になります。

島津紋章の丸に十の字は、シュリービジャヤ帝国の紋章から来ている事が解りました。インドネシアの多くのスルタンは、共和国独立時に全国の州副知事に就任されておられる様ですが、スマトラ島が王族ネットワークの中心地に成っている様です。王族ネットワークは、現在のインドネシアを中心に広くアセアンを築く中核となりました。
今回は、スマトラ島の南北の知事と副知事、そしてアセアンの生みの親であるアダムマリク氏旧官邸を表敬させて頂きました。

シュリービジャヤ帝国は、王族のスルタンを中心に広いアジア地域を海のネットワークを海人族、シーマンズ達により治めていた様です。まさにシーマンズ=シマズ=島津、薩摩隼人がアジアをまたに掛けて外交をしていた様に、シーマンズネットワークは、西洋のフリーメーソンのネットワークと似た性格を持っています。



posted by Project GAIA Information Centre at 05:01| 1998年