2009年07月25日

東西文明の交流地に立つ

1996.06.05at 00:00
西洋と東洋文明の出会いの地、イスタンブールで一週間を過して参りました。

現地の国立博物館であらためて確認できた事ですが、皇室の菊の紋章は、トルコを中心に栄えた古代ヒッタイト文明の太陽紋章そのものであり、本来は太陽を意味していたという事です。

ヒッタイトとは、太陽即ち日を伝える人を意味します。ヒッタイト民族は、イスラエル民族と裏腹の相対的な民族です。 イスラエル民族が西洋文化圏の基礎を築いた様に、ヒッタイト民族は、東洋文化圏の基礎を築きました。 ヒッタイト民族は、小アジア、トルコから大移動しながらアラブ圏を形成し、その後ヒマラヤを中心にアッサム、ビルマ、バングラディッシュに定住し、騎馬民族から農耕民族へと体質を変えていきます。

その後、中心的群れがインドシナ半島から黒潮に乗りながらインドネシア、フィリッピンなどの東南アジアを経由しながら沖縄、九州、大和へと大移動し、海人族として日本の弥生文化の発祥の起源となりました。

イスラエルユダヤのある一族は、檀君神話に見られるように朝鮮半島に移動し、日本に渡り出雲文化の発祥の起源となりました。 実は、日本の南北朝対立の歴史は、イスラエルの流れを汲む大陸人出雲ユダヤ人種と、ヒッタイトの流れを汲む海人族弥生アラブ人種の東西対立の雛型そのものであることがわかります。

日本の皇室は、南北朝の皇位継承争いの歴史そのものの縮図であり、また世界の東西文化対立の縮図であります。皇室には、ヒッタイトアラブとイスラエルユダヤの南北朝の血が混在しています。

その争いの歴史もいよいよ終焉の時代を迎えようとしています。



posted by Project GAIA Information Centre at 04:45| 1996年6月・7月